2025年02月23日
あのころ(半ドン)
1970年代 土曜日のお昼になると、役所のサイレンが鳴って、学校から帰宅していた。
そのころ、土曜日も学校の授業があり、正午になると帰宅していた。
帰宅して、昼食たべて、松竹新喜劇の藤山寛美を家族で観て、大笑いしていた。
それから、街へ食事に行ったり、友人の家に遊びに行ったりした。
やがて、週休2日が普及していった。

(DALL-E3のイメージ)
そのころ、土曜日も学校の授業があり、正午になると帰宅していた。
帰宅して、昼食たべて、松竹新喜劇の藤山寛美を家族で観て、大笑いしていた。
それから、街へ食事に行ったり、友人の家に遊びに行ったりした。
やがて、週休2日が普及していった。

(DALL-E3のイメージ)
2025年02月16日
あのころ(村田英雄さん)
1960年代 紅白歌合戦には、浪曲の村田英雄さんが登場していた。
相知町に村田英雄記念館があったと思う。
三波春夫とライバルだったが、歌番組や紅白歌合戦にはよく一緒に登場していた記憶がある。
「王将」をはじめ、「人生劇場」などストーリーが目に浮かぶ曲が多かった。
WESTのコマーシャル「♫生まれも、育ちも、まるまる九州たい~。。。 うどんウエスト~♫」が印象的だった。

(*DALL-E3で生成したイメージ)
相知町に村田英雄記念館があったと思う。
三波春夫とライバルだったが、歌番組や紅白歌合戦にはよく一緒に登場していた記憶がある。
「王将」をはじめ、「人生劇場」などストーリーが目に浮かぶ曲が多かった。
WESTのコマーシャル「♫生まれも、育ちも、まるまる九州たい~。。。 うどんウエスト~♫」が印象的だった。

(*DALL-E3で生成したイメージ)
2025年02月09日
あのころ(兼高かおる世界の旅)
1960年代 日曜日の朝 兼高かおる世界の旅が放送されていた。
まだ、海外旅行が高価で、めづらしかった頃。
世界の国々を紹介して、いろいろな国があるんだー。と家族で観ていた。
そのころは白黒TVだったので、赤い衣装も真っ黒で表示されていたので、鮮やかさは伝わってこなかったが、
軽妙なしゃべりと、なんでも挑戦してみようという「かおる」さんの性格が伝わってきた。
海外旅行の動機付けやあこがれになった番組だった。

(*DALL-E3で生成したイメージ)
まだ、海外旅行が高価で、めづらしかった頃。
世界の国々を紹介して、いろいろな国があるんだー。と家族で観ていた。
そのころは白黒TVだったので、赤い衣装も真っ黒で表示されていたので、鮮やかさは伝わってこなかったが、
軽妙なしゃべりと、なんでも挑戦してみようという「かおる」さんの性格が伝わってきた。
海外旅行の動機付けやあこがれになった番組だった。

(*DALL-E3で生成したイメージ)
2025年02月02日
あのころ(プロレス)
1970年代 プロレスが人気だった。
ジャイアント馬場の全日本プロレスと、アントニオ猪木の新日本プロレスが2大団体だった。
小学生の雑誌にも、2人の食事量で、ステーキ何枚と比較表が掲載されたりしていた。
ジャイアント馬場の足のサイズが、34センチで、16文キックなどと呼ばれていた。
友人の家に行っては、四の字固めをはめられて泣いたこともあった。
テレビでの、マイクパフォーマンスや、場外乱闘なども見どころの一つだった。
やがて80年代になると、タイガーマスクなど全盛時代を迎えることになる。

(*画像はDALL-E3のイメージ)
ジャイアント馬場の全日本プロレスと、アントニオ猪木の新日本プロレスが2大団体だった。
小学生の雑誌にも、2人の食事量で、ステーキ何枚と比較表が掲載されたりしていた。
ジャイアント馬場の足のサイズが、34センチで、16文キックなどと呼ばれていた。
友人の家に行っては、四の字固めをはめられて泣いたこともあった。
テレビでの、マイクパフォーマンスや、場外乱闘なども見どころの一つだった。
やがて80年代になると、タイガーマスクなど全盛時代を迎えることになる。

(*画像はDALL-E3のイメージ)