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2023年03月25日

あのころ(パーツ屋)

1970年代 ラジオの製作などの電子工作系雑誌が流行った。
普通の街の電気屋さんにも、パーツコーナーがあり、抵抗やコンデンサーなどが売ってあった。
雑誌で見た、アラームなどを抵抗やリレーなどを組み合わせて作るために、通ったものだ。

よく行ったのが、佐賀では白山商店街にあった「中村電器」だった。
今はエスプラッツになったが、おもちゃの植松の横にあった。
入り口付近には、洗濯機や冷蔵庫などの白物家電がおいてあり、板張りの床を踏みながら、奥に進むとパーツコーナーがあった。

そこで雑誌の回路図を見ながら、必要な電子パーツを買いそろえる。
家で、ハンダごてを使いながら、組み立てるが、時々抵抗などを逆につけてしまい動かない。
原因をしらべるのも楽しみの1つだった。

あらかじめ必要なパーツが1式はいっているキットもあったが、それだとちょっと高かった。
佐賀で品ぞろえがよかったのが、中村電器だったが、福岡では、天神ジークス(ロフトビル)やベスト電器などだった。
パーツによっては、街の電気屋では手に入らず、秋葉原の秋月電子通商の通販しかないパーツもあった。

休日に街を歩いてパーツをそろえたり、本屋で電子部品の雑誌をみたり、小学生なのに街歩きに忙しかったことを覚えている。


  

Posted by PC555管理者 at 08:08Comments(0)あのころ

2023年03月18日

あのころ(貸本屋)

駄菓子屋といっしょで、普通の民家の土間を改造して、じいちゃんばあちゃんが運営していた店が多かった。
少年漫画雑誌のサンデー、マガジン、チャンピョンや、ヤングアダルト系のアクション、モーニング、ビッグコミック、ヤンマガなどが多かった。
普通のコミックもシリーズでレンタルしていた。

1960年代や70年代に青少年だった僕らは、最初はコミックなど読んでいたが、「がきデカ」やアクションなどちょっとエッチな青年誌などを
横目でみつつ、試しに借りてみて、ムラムラ感を味わうと、性の目覚めとともに大人の階段をのぼったものだ。

コミック本などのお子様コーナーとは、別の一角にそういうアダルティな漫画や週刊誌がおいてあった。
店番のおばあさんの様子をうかがいつつ、おそるおそるアダルト系の漫画をチラ見していた。
ある日、意を決して1冊借りたのをきっかけに、大人の世界を知ってショックをうけたのを懐かしく感じる。

そんな、貸本屋の名残が、今は今宿のレンタル本の閉店あとを通るたびに思い出す。



  

Posted by PC555管理者 at 07:59Comments(0)あのころ

2023年03月12日

あのころ(月世界)

松原神社の前に、月世界があった。
ネオンかがやくパチンコ屋だった。
佐賀の繁華街のランドマークとしてかがやいていた。

私は、予備校時代に、月世界の横のゲームセンターにかよっていた。
スペースインベーダーなどのテーブルゲームが、盛んだったころ、ディグダグや、クレイジークライマーなど夢中になったものだ。
ゲームセンターの奥に、ピンボールマシンが置かれていた。

ピンボールマシンは、特にお気に入りで、無限にできるんじゃないかくらいまでやりこんだ。
予備校の授業が終わるか、土日には誰かしら知っている顔があった。

月世界の道向かい角に、天津甘栗があり、その裏に「ジャン球」といって、麻雀とパチンコを合わせた店があった。
月世界のネオンの前には、「サタデーナイトフィーバー」の映画の看板があったのをよく覚えている。
 「日峯さん」の縁日ともなると、松原神社の鳥居の前に屋台が行くつもたって、よりにぎやかだったものだ。


  

Posted by PC555管理者 at 08:18Comments(0)あのころ

2023年03月04日

あのころ(グランド劇場)

片田江の庄屋松原店の東側に、グランド劇場があった。
日本沈没やタワーリングインフェルドなど見に行った覚えがある。

1970~1980年代は、映画は2~3本立てが当たり前で、1日がかりだった。
ジョーズやヤコペッティなど、途中で気分悪くなるようなものも上映されていた。

新聞で時間を調べてから、学校で友達と映画館前で待ち合わせるするのだが、
1日がかりのインベントだったので、早く着きすぎて開いてなかったりがよくあった。

グランド劇場の閉館はよく覚えている。
「ニューシネマパラダイス」と「フィールドオブドリームス」だった。
感動しすぎて、花束を贈ったものだ。


  

Posted by PC555管理者 at 08:40Comments(0)あのころ