2023年02月25日
あのころ(佐賀大映劇場)
佐賀神社交番の斜め南側に佐賀大映があった。
大映といえば、なんといってもガメラと大魔神だ。
ガメラは、ギャオスやギロンやバイラスなど、敵怪獣も特徴的だった。
特撮物が映画会社をあげて制作された時代だった。
ガメラは、コジラとともに今でも数年おきに新作が作成される。
もう一つの大魔神は、魔人のお山の民間伝承と悪代官という勧善懲悪ものだったが、自然の化身の魔人は不条理だった。
完全に民の味方か?というとそうでもなく、最後に女性の涙で暴走を収めるというパターンだった。
TVが普及する前は、映画が娯楽の主流であり、映画館で友人たちとお菓子を食べながら盆正月を迎えるのが楽しかった。

大映といえば、なんといってもガメラと大魔神だ。
ガメラは、ギャオスやギロンやバイラスなど、敵怪獣も特徴的だった。
特撮物が映画会社をあげて制作された時代だった。
ガメラは、コジラとともに今でも数年おきに新作が作成される。
もう一つの大魔神は、魔人のお山の民間伝承と悪代官という勧善懲悪ものだったが、自然の化身の魔人は不条理だった。
完全に民の味方か?というとそうでもなく、最後に女性の涙で暴走を収めるというパターンだった。
TVが普及する前は、映画が娯楽の主流であり、映画館で友人たちとお菓子を食べながら盆正月を迎えるのが楽しかった。

2023年02月18日
あのころ(佐賀松竹劇場)
松原神社の松原川をはさんで北側に松竹があった。
盆正月に 寅さんが上映されていた。
寅さんと一緒に、トラック野郎か釣りバカ日誌の2本立てが多かった記憶がある。
映画館の前に確か「寅さんうどん」があったと思う。
寅さんの新作が上映されると、市内の電柱に立て看板と神社前交番近くの、ポスター掲示板に映画館のポスターが選挙ポスターみたいに掲げられていた。
新聞にも各映画館の上映時間が掲載されていたので、「どれに行こうか」と電話で打ち合わせして、学校で配布された割引券などを手に待ち合わせしていっていたものだ。
大体映画2本と予告編などを見ると夕方になっていて、1日がかりのイベントになっていた。

盆正月に 寅さんが上映されていた。
寅さんと一緒に、トラック野郎か釣りバカ日誌の2本立てが多かった記憶がある。
映画館の前に確か「寅さんうどん」があったと思う。
寅さんの新作が上映されると、市内の電柱に立て看板と神社前交番近くの、ポスター掲示板に映画館のポスターが選挙ポスターみたいに掲げられていた。
新聞にも各映画館の上映時間が掲載されていたので、「どれに行こうか」と電話で打ち合わせして、学校で配布された割引券などを手に待ち合わせしていっていたものだ。
大体映画2本と予告編などを見ると夕方になっていて、1日がかりのイベントになっていた。

2023年02月11日
あのころ(佐賀名画座)
旧佐賀駅の西側に、佐賀名画座があった。
佐賀の昔の映画館のHPなど見ると、時代によって「駅前映劇」などと名前が変わっていったらしい。
確か今は廃墟ビルになっているところと思われる。
友達と一緒に、「オリバー・ツイスト」を見に行った記憶がある。
映画自体は、ディケンズのイギリスの貧困を描いた映画だった。
同じころに、オードリヘップバーンの「マイフェアレディ」もあって、
どっちかというと「踊りあかそう」などの音楽の印象もあって、そちらが記憶に残っている。
昔、佐賀には映画館がたくさんあった。
これからしばらく、その時の記憶をたどっていきたい。

佐賀の昔の映画館のHPなど見ると、時代によって「駅前映劇」などと名前が変わっていったらしい。
確か今は廃墟ビルになっているところと思われる。
友達と一緒に、「オリバー・ツイスト」を見に行った記憶がある。
映画自体は、ディケンズのイギリスの貧困を描いた映画だった。
同じころに、オードリヘップバーンの「マイフェアレディ」もあって、
どっちかというと「踊りあかそう」などの音楽の印象もあって、そちらが記憶に残っている。
昔、佐賀には映画館がたくさんあった。
これからしばらく、その時の記憶をたどっていきたい。

2023年02月04日
あのころ(NHK佐賀放送局)
昨年、NHK佐賀放送会館が、県庁前の商工会館の跡地に移転した。
その前の城内のNHK佐賀放送会館が、開館したのが、小学校の頃だった。
学校が終わった後、何日か開館したての城内の放送局に通ったものだ。
入口から入ったすぐに2階に上る階段があった。
2Fに上ると、テレビの気象情報の時に使う気象情報の展示物があった。
晴れや、曇り、雨のマークの背景がチラチラ動くようになっていた。
また、効果音の雨や、足音の演出の道具が置かれたと思う。
そこで、友達としばし、寄り道をして帰宅していたのを思いだす。
城内のNHKの電波塔は、市街地はもとより、ちょっと離れた郊外の田畑からも見えた。
自転車や電車で他県などに出かけたおりに、佐賀が近づいてくると、電波塔がみえることで、「ああ、佐賀に帰ってきたな」と実感するランドマークになっていた。
まだ、解体されてはいなが、なくなってしまうと思うと、ちょっと悲しい。
と思ったら、いつの間にかだいぶ解体されとったねー。さみしかー。

その前の城内のNHK佐賀放送会館が、開館したのが、小学校の頃だった。
学校が終わった後、何日か開館したての城内の放送局に通ったものだ。
入口から入ったすぐに2階に上る階段があった。
2Fに上ると、テレビの気象情報の時に使う気象情報の展示物があった。
晴れや、曇り、雨のマークの背景がチラチラ動くようになっていた。
また、効果音の雨や、足音の演出の道具が置かれたと思う。
そこで、友達としばし、寄り道をして帰宅していたのを思いだす。
城内のNHKの電波塔は、市街地はもとより、ちょっと離れた郊外の田畑からも見えた。
自転車や電車で他県などに出かけたおりに、佐賀が近づいてくると、電波塔がみえることで、「ああ、佐賀に帰ってきたな」と実感するランドマークになっていた。
まだ、解体されてはいなが、なくなってしまうと思うと、ちょっと悲しい。
と思ったら、いつの間にかだいぶ解体されとったねー。さみしかー。
