2023年10月29日
アポロ11号
うちの白黒テレビに、月面着陸の映像が流れた。
着陸船のタラップを降りるシーンや、月面をピョンピョン跳ね回るシーン、アメリカの国旗を立てるシーンなど、強く印象に残っている。
アームストロング船長が、「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」との言葉を残した。
小学生だった私は、月面着陸に合わせて、小学館の雑誌の応募で、月の地図を手に入れていた。
大きな月の表と、裏の地図を眺めながら、着陸地点のうさぎの顔の部分にある「静かの海」をながめながら
「カラカラの砂漠なのに、どうして海っていうんだろう?」などと考えていた。
また、科学と学習のまんがなどで、発射時の緊急脱出には、
Gがかかって身動きできないので、目を3回続けて右に寄せなければならないなど
豆知識を今でも覚えている。
持ち帰った月の石が、翌年の大阪万博で展示され、お菓子のアポロチョコレートが発売された。

着陸船のタラップを降りるシーンや、月面をピョンピョン跳ね回るシーン、アメリカの国旗を立てるシーンなど、強く印象に残っている。
アームストロング船長が、「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」との言葉を残した。
小学生だった私は、月面着陸に合わせて、小学館の雑誌の応募で、月の地図を手に入れていた。
大きな月の表と、裏の地図を眺めながら、着陸地点のうさぎの顔の部分にある「静かの海」をながめながら
「カラカラの砂漠なのに、どうして海っていうんだろう?」などと考えていた。
また、科学と学習のまんがなどで、発射時の緊急脱出には、
Gがかかって身動きできないので、目を3回続けて右に寄せなければならないなど
豆知識を今でも覚えている。
持ち帰った月の石が、翌年の大阪万博で展示され、お菓子のアポロチョコレートが発売された。

2023年10月22日
あのころ(キドカラー号)
小学校の頃、授業中に先生が、飛行船が来るみたいだから皆、外で見ましょう。と言った。
校舎の横に出て、すごい晴れていた印象がある。
やがて、銀色の機体が近づいてきた。
機体には、日立のマークと「キドカラー」と書かれてたような気がする。
近づくにつれ、ブーンとエンジン音がしていた。
ゆっくり上空を横切って、やがて小さくなっていった。
近づくと、皆手をふっていた。
先生が知っていたくらいだから、あらかじめ飛ぶ時間帯やら新聞に載っていたと思う。

校舎の横に出て、すごい晴れていた印象がある。
やがて、銀色の機体が近づいてきた。
機体には、日立のマークと「キドカラー」と書かれてたような気がする。
近づくにつれ、ブーンとエンジン音がしていた。
ゆっくり上空を横切って、やがて小さくなっていった。
近づくと、皆手をふっていた。
先生が知っていたくらいだから、あらかじめ飛ぶ時間帯やら新聞に載っていたと思う。

2023年10月15日
あのころ(カラーテレビ)
テレビが白黒だった時代。
また、真空菅で、スイッチを入れると、ブーンという音とともに温めてます状態があり、映像が表示されるまで数十秒時間がかかっていた。
映像が表示されるのが、ありがたかった時代だった。
家にカラーテレビが来ることが父親から知らされた日、朝から楽しみで、小学校の授業もうわのそらだった。
友達でも、ちらほらカラーテレビの家が出始めていて、新聞のラテ欄に、「カラー」という、カラー放送の番組にはルビが入っていた。
夕方近く、おなじみの電気屋さんが玄関から入ってきて、カラーテレビの設置を行い、アンテナも替えてくれた。
白黒テレビの前の緞帳や、フランス人形など、そのままカラーテレビの上に置き換えられた。
ちょうど、金曜だったか、「金曜ロードショー」のような映画を見た記憶がある。
そのうち緞帳がいらないくらいに、つけっぱなし状態となり、テレビっ子になりはてるのだった。

また、真空菅で、スイッチを入れると、ブーンという音とともに温めてます状態があり、映像が表示されるまで数十秒時間がかかっていた。
映像が表示されるのが、ありがたかった時代だった。
家にカラーテレビが来ることが父親から知らされた日、朝から楽しみで、小学校の授業もうわのそらだった。
友達でも、ちらほらカラーテレビの家が出始めていて、新聞のラテ欄に、「カラー」という、カラー放送の番組にはルビが入っていた。
夕方近く、おなじみの電気屋さんが玄関から入ってきて、カラーテレビの設置を行い、アンテナも替えてくれた。
白黒テレビの前の緞帳や、フランス人形など、そのままカラーテレビの上に置き換えられた。
ちょうど、金曜だったか、「金曜ロードショー」のような映画を見た記憶がある。
そのうち緞帳がいらないくらいに、つけっぱなし状態となり、テレビっ子になりはてるのだった。

2023年10月08日
あのころ(佐賀大博覧会)
現在の県総合運動場(サンライズパークのあたり)と武道場のあたり、確か昔は花市場だったと思う。
1969年3月20日から5月18日までの60日間 「農業」をテーマにSAGA EXPO'69が開催された。
当時小学生だった私は、毎月のように、父親と一緒に花市場へ行っていた記憶がある。
博覧会には両親といったと思うが、混雑していて、いくつかパビリオンが建っていた。
今でも覚えているのは、プラスチックのコップを機械で次から次に作っていて、それをもらえたことだ。
青いプラスチック製だったと思う。それがプレス機で次から次へとできていく様は、玉屋の饅頭が作られていく様と似ていて、ずっと見ていても飽きないものだった。
また、360度の円形スクリーンに木曽川下りのような船の映像が映し出されて、水しぶきがかかるので、ビニールシートで覆われたときには、あたかも川下りをやっているように思われた。
後に、つくば博覧会に行った時にも同様の川下りを見て、「どっかでみたな」と思った覚えがある。
1970年の万国博覧会を前にして、博覧会ブームの先がけだったように思う。

1969年3月20日から5月18日までの60日間 「農業」をテーマにSAGA EXPO'69が開催された。
当時小学生だった私は、毎月のように、父親と一緒に花市場へ行っていた記憶がある。
博覧会には両親といったと思うが、混雑していて、いくつかパビリオンが建っていた。
今でも覚えているのは、プラスチックのコップを機械で次から次に作っていて、それをもらえたことだ。
青いプラスチック製だったと思う。それがプレス機で次から次へとできていく様は、玉屋の饅頭が作られていく様と似ていて、ずっと見ていても飽きないものだった。
また、360度の円形スクリーンに木曽川下りのような船の映像が映し出されて、水しぶきがかかるので、ビニールシートで覆われたときには、あたかも川下りをやっているように思われた。
後に、つくば博覧会に行った時にも同様の川下りを見て、「どっかでみたな」と思った覚えがある。
1970年の万国博覧会を前にして、博覧会ブームの先がけだったように思う。

2023年10月01日
あのころ(型抜き)
夏祭りや、日峯さんのときなど、屋台が多かった。
よくやったのが、「型抜き」だ。
キャラメルの包み紙みたいな紙に包まれた四角辺に、
傘や飛行機などが薄く描いてあり、その形をつまようじなどで、こすって形をきりはなすのだ。
うまく切り離して、店主にもっていくとその形の難易度によって、景品や賞金をもらえた。
1回100円程度だったと思う。
傘などは、細い柄の部分とかが、ぽっきり折れてしまい。
悔しくて、何度も挑戦してしまうのだ。
時々、店主が「簡単に抜けますよ」と、手でポキポキと折って抜けることをアピールしたりしていた。
それを見て、また何人も挑戦してしまうのだ。
本当は、型抜きも、お菓子で食べられるみたいだが、食べている子供はほとんどいなかった。

*楽天でも売っていた
型抜き)
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E5%9E%8B%E6%8A%9C%E3%81%8D+%E7%B8%81%E6%97%A5/
よくやったのが、「型抜き」だ。
キャラメルの包み紙みたいな紙に包まれた四角辺に、
傘や飛行機などが薄く描いてあり、その形をつまようじなどで、こすって形をきりはなすのだ。
うまく切り離して、店主にもっていくとその形の難易度によって、景品や賞金をもらえた。
1回100円程度だったと思う。
傘などは、細い柄の部分とかが、ぽっきり折れてしまい。
悔しくて、何度も挑戦してしまうのだ。
時々、店主が「簡単に抜けますよ」と、手でポキポキと折って抜けることをアピールしたりしていた。
それを見て、また何人も挑戦してしまうのだ。
本当は、型抜きも、お菓子で食べられるみたいだが、食べている子供はほとんどいなかった。

*楽天でも売っていた
型抜き)
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E5%9E%8B%E6%8A%9C%E3%81%8D+%E7%B8%81%E6%97%A5/