2024年08月25日
あのころ(自由研究)
1960年代~70年代 夏休みの残り1週間は、家族じゅうで自由研究の課題をやっていた。
なんでもっと早くにやらなかったんだろうと、後悔することも毎年のこと。
忘れていた宿題や、日記などは天気などを思い出すのが大変だった。
8月31日いよいよになると、自由研究キットなど市販のキットにたよるはめになる。
日本地図の等高線で組み立てるキットを買ってやった覚えがある。
山脈や、主要な川などの名前を書いたシートがついていて、それをハサミで切って貼っていくのだ。
考えてみれば、そちらのほうが余計に大変だった。
夏休みの最終日、泣きながらやっていたものだ。

(生成AI DALL-E3で作成)
なんでもっと早くにやらなかったんだろうと、後悔することも毎年のこと。
忘れていた宿題や、日記などは天気などを思い出すのが大変だった。
8月31日いよいよになると、自由研究キットなど市販のキットにたよるはめになる。
日本地図の等高線で組み立てるキットを買ってやった覚えがある。
山脈や、主要な川などの名前を書いたシートがついていて、それをハサミで切って貼っていくのだ。
考えてみれば、そちらのほうが余計に大変だった。
夏休みの最終日、泣きながらやっていたものだ。

(生成AI DALL-E3で作成)
2024年08月18日
あのころ(赤チン)
1960年代、広場で野球などを子供たちでやっていると、擦りむいてひざなど傷だらけになることがよくあった。
そんな時に、救急箱から、母親から「赤チン」を塗ってもらったものだ。
赤い容器にはいっていたが、塗ると黄色に変色した。
肘や、膝を黄色に塗ってもらいながらも、遊びまくる子供たちが大勢いた。
たまに、皮がむけて、包帯を巻いてもらっている子供は、「どうした」などと声をかけてもらって、怪我自慢などしていた。
やがて、傷口にかさぶたが出来て、しばらくすると治っていた。
水銀が含まれているために、1973年に国内では製造中止になったそうだ。
知らないうちに、「マキロン」などに代わっていた。

(DALL-E3で生成)
そんな時に、救急箱から、母親から「赤チン」を塗ってもらったものだ。
赤い容器にはいっていたが、塗ると黄色に変色した。
肘や、膝を黄色に塗ってもらいながらも、遊びまくる子供たちが大勢いた。
たまに、皮がむけて、包帯を巻いてもらっている子供は、「どうした」などと声をかけてもらって、怪我自慢などしていた。
やがて、傷口にかさぶたが出来て、しばらくすると治っていた。
水銀が含まれているために、1973年に国内では製造中止になったそうだ。
知らないうちに、「マキロン」などに代わっていた。

(DALL-E3で生成)
2024年08月11日
あのころ(盆提灯)
1960年代 お盆が来ると、ご先祖様を迎えるために、盆提灯を飾っていた。
軒先の提灯の灯りをたよりに、ご先祖様が各家庭に帰ってくるということを聞きつつ、提灯を準備していた。
夕方になると、中のろうそくに灯をともし、仏壇に並べた、茄子やキュウリに割り箸を刺した動物をみながら夕飯を食べた。
昼間は、軒先の提灯を眺めながら、来客用のイ草の夏用の座布団を枕に、仏間で寝っ転がって昼寝をしたものだ。

(生成AI DALL-E3で作成)
軒先の提灯の灯りをたよりに、ご先祖様が各家庭に帰ってくるということを聞きつつ、提灯を準備していた。
夕方になると、中のろうそくに灯をともし、仏壇に並べた、茄子やキュウリに割り箸を刺した動物をみながら夕飯を食べた。
昼間は、軒先の提灯を眺めながら、来客用のイ草の夏用の座布団を枕に、仏間で寝っ転がって昼寝をしたものだ。

(生成AI DALL-E3で作成)
2024年08月04日
あのころ(盆踊り)
1960年代 各町内では、盆踊りが行われていた。
お祭り好きの、魚屋さんや、酒屋さんが中心となって、近くの空き地などで町内の盆踊りを開催していた。
盆踊りの最後に、抽選会などがあり、各商店から持ち寄られた賞品が当たるものだった。
音楽なども、ラジカセを拡声器の近くに置いて、「炭坑節」などを流すにわかごしらえのものだ。
でも、子供たちは、朝から楽しみにしていて、まだ明るいうちから会場付近をうろうろして、もらったお小遣いで、露天の綿あめなど買い食いしながら夕暮れを待った。
踊り方は、みようみまねで、それらしく踊っている人をまねしながら踊った。
最後に、お楽しみの抽選会が行われ、子供たちは参加の商品ももらって、お開きに。
家路につくころには、「祭りの後」のさみしさを子供心に感じたものだ。

(生成AI DALL-E3で作成)
お祭り好きの、魚屋さんや、酒屋さんが中心となって、近くの空き地などで町内の盆踊りを開催していた。
盆踊りの最後に、抽選会などがあり、各商店から持ち寄られた賞品が当たるものだった。
音楽なども、ラジカセを拡声器の近くに置いて、「炭坑節」などを流すにわかごしらえのものだ。
でも、子供たちは、朝から楽しみにしていて、まだ明るいうちから会場付近をうろうろして、もらったお小遣いで、露天の綿あめなど買い食いしながら夕暮れを待った。
踊り方は、みようみまねで、それらしく踊っている人をまねしながら踊った。
最後に、お楽しみの抽選会が行われ、子供たちは参加の商品ももらって、お開きに。
家路につくころには、「祭りの後」のさみしさを子供心に感じたものだ。

(生成AI DALL-E3で作成)