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2024年03月31日

あのころ(神野公園)

1960年代 佐賀市内の幼稚園、小学校の遠足と言えば、神野公園だった。
春も、この時期は花見に出かけたものだ。

短期間ながら、佐賀駅、神野公園から、川上峡まで佐賀電気軌道が走っていた時期があるらしい。

東京も、多摩川園や向ヶ丘遊園など、小規模遊園地が閉鎖されるなか、
神野公園の遊園地は、市民から愛されて頑張っている。

これからも、市民の憩いの場として、親しまれていてほしい。


(画像生成AI DALL-E3で作成)
  

Posted by PC555管理者 at 08:05Comments(0)あのころ

2024年03月24日

あのころ(テレビ)

1960年代 隣近所でテレビを見ることが多かった。
白黒テレビが普及して、友人の家で遊ぶついでに、夕方になって子供番組がはじまる。
ついつい、皆でみていると帰りそびれて、晩御飯の時間になって親が迎えに来ることもあった。

特に、相撲やプロレスなどは、皆でみていると余計に盛り上がった。

(*生成AIのDALL-E3で作成)  

Posted by PC555管理者 at 07:59Comments(0)あのころ

2024年03月17日

あのころ(日裕ボウル)

1970年代 松原1丁目に日祐ボウルがあった。
小学校、中学校の時に、家族や友人たちと利用していた。
ボーリングブームでもあったこともあり、休日や夕方から手軽にボーリングしていた。

シューズを借りて、だいたい2ゲームして楽しんだ。
市内にあったので、放課後や休日にぶらぶら歩いて、立ち寄ることができた。
2011年に老朽化で、閉店となった。



(イメージ画像は生成AI DALL-E3で作成)  

Posted by PC555管理者 at 08:09Comments(0)あのころ

2024年03月10日

あのころ(鹿鳴春)

1960年代 家族で中華料理を食べるときに「鹿鳴春」を利用していた。
年に数回だったが、中華料理が食べられるのと、外食できるので印象に残っている。

親類が来る、盆や正月の時期が多かったと思うが、「北京ダッグ」などもそこで覚えた。
明治維新の欧化政策のために建設された「鹿鳴館」と似ているため、教科書で見つけたときに「鹿鳴春」は中華料理と念押ししていた。

場所は、今の白山郵便局あたりだったと思うが、途中で、中央マーケットの西口あたりに移転したと思う。
気が付いたらそこもなくなっていた。

(*画像は、生成AI DALL-E3で作成)  

Posted by PC555管理者 at 08:34Comments(0)あのころ

2024年03月03日

あのころ(南部バイパス)

1960年代 佐賀の大崎付近で、南部バイパスの工事が始まった。
現在の大崎ポンプ場付近だが、昔は水田地帯で、木にはクワガタやカブトムシがたくさんいた。
近所の子供達で、夏になると虫取り網やカゴをもって昆虫採集に出かけたものだ。

南部バイパスの工事が始まると、水田のなかに舗装した道路ができ始めた。
工事が休みの日曜日などに、舗装した道路に寝転んだりして遊んでいた。
(*マネしないように危ないから)

今では、佐賀市を取り巻く環状道路となって、市内の混雑緩和に役立っている。


(絵は、生成AI DALL-E3で作成)  

Posted by PC555管理者 at 08:34Comments(0)あのころ