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2011年07月07日

渋沢栄一の震災復興

渋沢栄一の震災復興
上記クリックでustreamへのリンク
(全体で2時間くらいあるので、時間のある時に)

震災復興大臣で、ドタバタしているが、関東大震災時の復興はどうだったか?

先月、公益財団法人渋沢栄一記念財団、東京商工会議所 主催で
東日本大震災復興シンポジウム「渋沢栄一の経験から考える、いま「民」にできること」というシンポジウムがあった。

関東大震災時、83歳だった渋沢栄一は地震直後から自ら先頭に立ち、
「私のような老人は、こういう時に、いささか働いてこそ生きる申し訳が立つようなものだ」
「逆境に処しては、断じて行え。決して惑うてはならぬ。」
民間の立場で、将来を見据えた広い視野に立ったさまざまな復興支援活動を行いました。

震災発生の翌日、内田臨時首相、警視庁、東京府知事、東京市長へ使者を送り、被災者への食糧供給、バラック建設、治安維持に尽くすように注意を与えました。

また組閣した山本権兵衛首相は、さっそく戒厳令を敷き、
内務大臣に、前東京市長の後藤新平を内務大臣に起用。

後藤新平は、大震災復興のための4原則を発表しました。
その内容は、
1) 遷都は行わない
2) 震災復興のために必要な予算は約30億円
3) 欧米先進国の最新の都市計画を取り入れ、日本にふさわしい新都を造る
4) 新都市計画を実行するにあたり、地主に対しては断固たる態度をとる
という的確で、スケールの大きな方針でした。
(下記 「“民”の力を結集して震災復興を - 渋沢栄一に学ぶ / 木村昌人」より)

上記のustreamで、44分くらいから
基調講演 「関東大震災後における渋沢栄一の復興支援」: 守屋 淳(作家)
が解説されている部分が印象深かった。

幕末、明治期の修羅場を生き抜いた、政治家や起業家がいたこの時代の人物たちは、窮地に対する対応力が備わっていた。
対して、現在の政治家は..


その渋沢栄一の復興要約は、下記から読み取れる
“民”の力を結集して震災復興を - 渋沢栄一に学ぶ / 木村昌人

*佐賀も幕末、明治の人物を輩出した土地がら、当時の人物を取り上げていきたい。


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