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2023年01月03日

お正月

ここでいう「あの頃は」1960~70年代の小学生をイメージしていただきたい。

あの頃のお正月は、各家庭に国旗の掲揚台が玄関の横に金属製ですえつけてあり、元旦に国旗の入った箱から国旗を出して掲げるように父親からいわれていた。
玄関の上に、しめ飾りをする家は、まだ見受けられるが、あの頃は、バスや公用車はもとより、自家用車の前にも「しめ飾り」を付けた車が大半だった。

いつもとは違う母親の台所からの雰囲気を感じながら、少し遅い朝にお風呂に入り、母親の用意した新しい下着を身に着けていた。
家族全員で、準備が整うと、仏間兼居間にみんなで集まり、お正月のあいさつを行った。

仏壇の横には、三方に載せられた、鏡餅と蓬莱飾りを祭った。
蓬莱飾りは、最近は見かけなくなったが、三方の上に生米を山みたいに積んで、干し柿や栗など配置して、頂点に熨斗をまいた炭が載せてあった。
家族で順番に、屠蘇をいただいて、スルメや煮干しなど頂いた後、年神様にお参りした後、お礼に蓬莱飾りの山から、干し柿などをいただいていた。
栗などは、食べるのが面倒なので、みかんや干し柿をいただくのが、普通だった。

それから、昆布だしだろうか、透き通った出しで、ホウレンソウや餅やかまぼこが入った雑煮とおせちを食べていた。
おせちといっても、子供がだべるものは、そんなになく、ウインナーや栗きんとん、かまぼこなどを食べると、お腹いっぱいになって、TVの部屋をみていた。

そうこうするうちに、年賀状が届いて、読んでいると、昼どきともなり、さて初詣に行こうかということになる。

(つづく)



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Posted by PC555管理者 at 10:12│Comments(0)あのころ
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