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2023年01月08日

お正月2

(1から続く)
初詣は、家から20分くらい歩いたところにある、お寺に墓があり、まづそこへのお参りからだった。
墓と本堂にお参りしてから、本堂のわきにある和尚さんが住んでいる母屋へ挨拶をしていた。
時々は、和尚さんが対応してくれるが、大体は坊守さんが対応してくれていた。
新年のあいさつの後、子連れにはキャラメルや飴をくれるので、子供としては楽しみだった。

それから、佐嘉神社へお参りするのだが、やはり元日は人出が多い。
参拝した後、松、竹、梅のくじ付きおみくじをひく。
人込みを避けて、2日や3日にいくと、松の景品はほぼひかれていてほぼ梅だが、時々松が当たるとうれしかった。

昔は、三が日は店が閉まっていて、神社付近の露店や、映画館くらいしか開いていなかった。
かといって、そこで何か買ってもらっていたかというと、そうではなく。
うちは父親が、「正月からお金をつかうものではない」と何か買ってもらった記憶はない。

初詣を終えて家に帰ると、夕方になっているので、倉庫から、正月前に買っていた「プラッシー」などを飲みながら小学〇〇生や科学と学習の付録などで、兄弟と遊んでいた。

お正月2


正月2日のお昼になると、親類が集まってきた。
うちは本家だったので、親しい親戚がやってきて、同じ世代の子供の家族には、お年玉の交換をしていた。
酔っぱらった叔父さんが急遽ちり紙に包んだお年玉をくれて、当時の小学生には高額な5千円はいっていて開けてびっくりした母親が返したことがあった、

大人の話はつまらないので、子供たちは別の部屋で、ゲームやトランプであそんでいた。
親戚の子供同士は、盆正月くらいにしか遊ばないのだが、その思い出は鮮烈に覚えていて、今も懐かしい。

正月も日がたつと、鏡餅が所々にカビが目立ち始める。
母親が短冊に切って、水につけていた。
そして、ぜんざいにして食べさせてくれていた。
そうやって、あっという間に三学期がはじまっていたのだった。


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Posted by PC555管理者 at 11:53│Comments(0)あのころ
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