2023年01月22日
あのころ(ロータリー)
道路の真ん中に、丸や三角系の安全地帯がある。
昔は、50cmくらのコンクリートの低い塀で囲まれていた。
いまも名残があるのが、佐嘉神社角交番のロータリーだ。
コンクリートはないが、形状は残っていて、車の分離や、歩行者の安全地帯としてつかわれている。
昔、佐賀城のお堀の南東の田中商店の横にもあった。
いまは取り除かれて、アスファルトになってしまった。
小学校の行き帰りに、囲いのコンクリートの上に上って周辺をぐるっと回っていた。
旧県病院(好生館)の横の縁石が作られてのは、1970年代だったように思う。
コンクリートの20cmくらいのコンクリートが2m間隔程度で工事されていた。
ビー玉みたいな反射材が埋め込んであり、できた当時は取り出せないか何度もなででいた。
案の定、通学の楽しみとなり、皆で上を乗ったり、降りたりして楽しんで、自動車からするとよけいに危険だったように思う。
歩行者がいると、自転車が通れなかったり、余計に危険だったりして、最近はなだらかなスロープタイプか、金属製の柵タイプが多くなったようだ。

昔は、50cmくらのコンクリートの低い塀で囲まれていた。
いまも名残があるのが、佐嘉神社角交番のロータリーだ。
コンクリートはないが、形状は残っていて、車の分離や、歩行者の安全地帯としてつかわれている。
昔、佐賀城のお堀の南東の田中商店の横にもあった。
いまは取り除かれて、アスファルトになってしまった。
小学校の行き帰りに、囲いのコンクリートの上に上って周辺をぐるっと回っていた。
旧県病院(好生館)の横の縁石が作られてのは、1970年代だったように思う。
コンクリートの20cmくらいのコンクリートが2m間隔程度で工事されていた。
ビー玉みたいな反射材が埋め込んであり、できた当時は取り出せないか何度もなででいた。
案の定、通学の楽しみとなり、皆で上を乗ったり、降りたりして楽しんで、自動車からするとよけいに危険だったように思う。
歩行者がいると、自転車が通れなかったり、余計に危険だったりして、最近はなだらかなスロープタイプか、金属製の柵タイプが多くなったようだ。

Posted by PC555管理者 at 09:41│Comments(0)
│あのころ
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。