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2023年01月28日

あのころ(駄菓子屋)

1960年代 近所のいたるところに駄菓子屋があった。
だいたい、おばあちゃんやじいちゃんが店番をしていた。
旧県病院から南に行く城内通りの突き当り、今の村岡屋のあたりにも3件くらいあった。

当時5円の商品が多くて、たまに10円のものがあると高く感じた。
ただ、高い分だけ子供ごころをくすぐる、いいキャラクタだったり、チョコレートだったり、子供にしてみれば高級品だった。
いまのモールに出店しているチェーンの駄菓子屋で復刻されているものと同じようなものが多かった。

ただ、当時は危険なものも多かった。
銀玉鉄砲やバクチクなど、いまだと危険だからとクレーム来そうなものも多かった。
バクチクなどは、大和の母がたの実家に行くと、「馬が暴れるからバクチクはだめだ」と言われたことがある。
また、どぎつい色の食品も多かった印象がある。

近所の年長の子供につれられたり、兄や姉につれられて、毎日のようにいっていたものだ。
緑や青のわら半紙に入れられたプロマイドも売っていた。
中身が見えないが、ガメラやコジラなど当時の怪獣物が多かったと思う。

高い商品の、プロペラ飛行機やタコあげなどは、天井から吊ってあった。
プラスチック製の刀やセルロイドのおもちゃなど、ほこりをかぶって高いところにあった印象がある。
土間の棚に駄菓子が並べてある店がほとんどだった。

なかには、細い道の絶対人通り少ないのにという場所や、一見すると普通の民家やん
という自宅の玄関を改造した駄菓子屋もあった。
そういう、人知れない場所も、友達づたいに聞きつけて、探検がてら行ってみるのだった。

あのころ(駄菓子屋)


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Posted by PC555管理者 at 10:49│Comments(0)あのころ
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